須佐に須佐之男命は祀られているのか!?神山伝説Vol.1


須佐に須佐之男命はちゃんと祀ってあった。

順番に、なにやら歴史・神話の謎解きをしていっても面白くないので、

私が「えっ!?」と思ったきっかけから順に整理してゆきます。

須佐に住む我々がほとんどその自覚を伴っていない、須佐が過去どれほどロマンに満ちた場所であったかなどの神話伝承を紐解いていきたいと思っています。

高山(神山)

高山はかつて神山というのが正式な名前でした。古い地図にも「神山」とかかれています。

昔の時代背景は、文字もなく口伝・音で語られている世であり、その意味を間違え、まったく別の意味としてその後受け継がれることも珍しくありません。

今度詳しく紹介しますが、須佐の古い文章「須佐津考」(すさつこう)という存在を知りました。

「須佐津考」は、昭和3年3月5日に「須佐湾」が名勝天然記念物として内務省から指定を受けた時に、添付資料として内務省に提出されたものです。どこにも所蔵されていません。個人がお持ちのものと、内務省に保管してある(はず)ものだけです。その文を見て私のこの神話と神山検証作業が始まったようなものです。

だって、

須佐には須佐之男命なんて祀ってある場所なんてない

というのが、須佐にいながらも悔しくも情けない現実として受け止めてきたんです。出雲のあたりの人から、「山口県の須佐は、なんちゃってだ。スサノオとは関係ない」とまで言われても言い返せなかったのですから。(-_-;ウーン

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>そして、須佐津考を読み始めてすぐです・・・・・・・


神山 海抜1758尺

此山岳は石見国三瓶山以西、馬関海峡以東の航海線に於いて、最大目標たる位地を有し、遠距離の舟子・船客、此方位に向へば東西の陸地は殆眼界に入らずして、 洋中に突兀たる一嶋嶼あるの観あり。出雲政庁時代に於ける志良岐行は、同国日御崎(ひのみさき)より此山岳を指して石見海岸を通過し、帰航の時は、遠く数十里外より此山岳を望みて、 海峡を横断せしなるべし。山名加宇山(こうやま)は須佐之男命の由緒に起これる神山(かみやま)の音便にして、神山中に神山の小字あるも此の神社の所在地なればなり

神を加宇と唱うるは神戸・神崎・神代・神足など地名姓氏等に其の例枚挙に遑あらず。

高の字を填(あ)てたるは、音便に泥める後世人の妄なり。


>もう、すぐにスイッチ入りましたね!

須佐之男命だって!?
w( ̄△ ̄;)wおおっ!

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神山(かうやま)神社

此山に神山の小字ありて、其地に神山神社と称へたる旧社在り。

後世、神山の分区前地に属したり。

前地・広潟等に御祭田等ありて其経営の宏壮なる、鐘楼・御手洗川等の設備あり。

鐘楼の廃跡は今猶鐘撞メン(免)の字(あざ)を残せり

海浜より社殿に至るの間、華表(鳥居)三基を配置せり。其祭儀の厳粛なる、毎年九月朔より同十四日に至る満日には、御輿三躰、麓なる広潟の浜に出御あり て、夫れより御幸地海老嶋また鶴崎とも言いたりしが、(今は鶴嶋と呼べり)まで船橋を仮設したり、

往古の社地は後の社地より聊東に寄り二町許(ばかり)上れり、今猶石垣の跡を存し、堤及び老松一株在り、 南朝後醍醐天皇延元二年(1337)、野火の災に罹れり、此の時、大神[は]飛鳥の如く空を翔り、此地なる一大石上に影向(えごう、神仏の姿)ありしを以て社地を変更し、社殿を再建せりと言う。

尚其有名にして崇敬非凡なりし事は、湾外往復の船舶は必ず其の帆を下し丹誠を凝らして航路の安全を祈り、本港碇泊の時は必此の神社に参詣するを例と為せしのみならず、大原本郷の住民は更なり。陸行旅客の為には二箇所の定設遙拝所在り、四季随時の花を供へて、 各自の安全幸福を祈りしかば、今尚其跡を存し、号(なず)けて上花立・下花立といえり其祭神は、上古須佐之男命の御親(みみずから)鎮め置き給ひし御霊を祀れるは 上にも言へる如くなれど御母神伊邪那美命をも配祀せしものなるは、花立ての故事にて知らるるなり。


神山神社って何よ!?

>現在、赤米が植えられているところは前地の広潟。御祭田が古来より同じ場所にあり植えられていたというのは、なんとも奇跡的な偶然∑(`□´/)/!!赤米は、神への奉納の米として種が守られてきたことからも、神米とも呼ばれています。
古代からあの赤米と神山の風景は実は存在していたんです!

高山の麓の赤米圃場
高山の麓の赤米圃場

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>そして、その大鳥居の柱の敷石が現存するというんです!
|||||/( ̄ロ ̄;)\たまらない~!!(←アホ)
すぐに確認しに行きましたが、地域の人の案内じゃないとわかりづらいとのことで、今度又確認しに行ってみようと思います。

往古の社地は後の社地より聊東に寄り二町許(ばかり)上れり、今猶石垣の跡を存し、堤及び老松一株在りって、もしや、元々の神社の跡地とは、現在、旧黄帝社跡地と呼んでいるところ!?

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こりゃ、行くしかないね!(←なぜ?)

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高山登山

で早速、先日高山に散策というより登山に近い検証をしてきました。

土砂崩れや、やぶと化したあるかないかわかんない道をたどって、行った事のある方から教えられた漠然とした道?を斜面を上り下りし、古代、出雲政庁時代からと言われる須佐之男命の信仰の原点の場所を探しにです。

旧黄帝社跡地

この呼び方も今度紹介する文によれば誤称の延長になってしまいますが、見つけました!っていうか、たどり着いた!

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正直、道わかんないです。。。。。

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かすかに残る先人の道しるべ。。。。

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ようやく、発見!
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大きな巨石がごろごろしていて、その一つに岩の隙間のような穴に、石仏が置いてあり、横には供養の碑も。あまりの奥地に、こんなところまで参拝に来ていたのか?と驚きます。

奥に、社地跡があったという話でしたが、極近年の土砂崩れで埋まっています。

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で、ここなの?

で、ここが須佐之男命の祀ってあったところかというと、実はそんな単純なものではなかった。というのも、信仰の形が変ったり、残された古文書に間違いも多く、複数の説を紹介している書が多いこともあります。ただ、今回、この場所以外にも、行者様、頂上付近、風穴周りと現場を検証し回り、スサノオ・いくつも気になる点が見つかったのです。

その一つがご存知の方もおられるかもしれませんが、この千手観音と思しき石仏群です。

高山千手観音石仏

頂上付近で4体あるそうです。

そして、先ほどの旧黄帝社跡地の脇の岩窟内にもありました。

石仏の台座は新しげでしたが、石仏を見て時代考証できるわけもなく、罰が当たるのも嫌なので(笑)、触ったり近づくのもやめておきましたwwww。

まあ、国の天然記念物の横に後で勝手に信仰のために置いたものと言えば、迷惑な話に聞こえますが、どうもその千手観音というのが引っかかって、調べてみました。

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なぜ千手観音?

日本全国、石仏に千手観音があるのは、珍しくない話のようで、確かに個人的にも色々な場所で見たような気もしました。調べてるとわかるのは、その多様な解釈の多さ。地域・民間にある言い伝えを追うと迷走しそうになるので、大元を調べるとありました。熊野権現です。

それによると、熊野三山の1つ熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのふすみのかみ)は千手観音がまつってあるということ、その祭神は伊邪那美尊(イザナミノミコト)須佐之男命の母君で、須佐津考にもあるように、須佐之男命と一緒に祀ってあった(信仰の対象であった)とする祭神と符合するじゃありませんか!?

古来の信仰を実直に紡いできた形なのかどうかはわかりませんが、高山を神山として信仰の母胎とした1つの遺跡であることは間違いありません。

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一旦ここで、この切り口を追うのを止めます。というのも、他の切り口から見方を変えてみたいと思うからです。

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スピリチュアルスポット神山

特に、誰にも知られていないのが、行者様(神山頂上から東側に見えるもう一つの峰)で毎年地域の人が祭事を行っているというのを?それも、須佐の野頭地区だけでなく、田万川の尾浦地区、阿武町の尾無地区の方々が集ってです。

須佐高山-行者様

尾無のおばあちゃん(すみません。名前を忘れてしまいました)と言えば気がつきます?地域では有名な霊能者だったあのおばあちゃんです。あのおばあちゃんは、その行者様の祭りに加わっていたとのこと。霊視(?)をされに行かれた方ならご存知でしょうけど、線香の煙と石を使われていましたよね。霊を憑依させてしゃべるとかでなく、今思えば確かに石に何か念じて線香の煙の向こうを見るようにされていました。(私はお世話になった口ですから。)そのルーツというか、母胎となっているのも高山だとしたら。。。。。

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詳細は調査中ですが、この行者様は修験者の霊場ということで、あまり一般の人も知る機会がなかったのですが、極最近も、九州から修験者の方が須佐の高山に来られ、「この山は霊気が凄くある」として、麓で護摩をたかれたそうです。

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更に、神山には古墳があります。須佐町史にも掲載されていますが、古墳(群)にも実は一つの信仰があったとする説があります。

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こういうことからも、神社という建物や御神体がわかりやすい形で残っていればイメージはつきやすいのですが、古代から信仰の母胎となってきた神山は、今風に言うとスピリチュアルスポット(パワースポット・ヒーリングスポット)として今も濃く存在しています。

そこに神代の時代の須佐之男命信仰があったかどうかは、須佐津考でも検証されていますが、現在にも残る地名・字名にも現れています。

又、大学教授の論文や異端とされている小説にまでその話は及びます。

その辺を次回紹介します。



須佐に須佐之男命は祀られているのか!?神山伝説Vol.1」への2件のフィードバック

  1. 島根県の安来は古事記では根之堅洲国というところでスサノオの活躍地ですね。正確には十神島根之堅洲国となりますが長いので古事記では省略されています。この省略された、十神島というのは出雲国風土記では砥神島という陸繋島であったであろう現在の安来市の十神山です。この島は安来市のシンボルと見いわれ、きれいな円錐形をした小山ですが、古代の人たちにの崇敬した島だったらしいです。この十神というのはイザナギ・イザナミ以前の神々を指し、両神を含めその後の神代の時代と分けて神世と表現されます。この神世七代の十柱の神々が宿る神聖な島だったのだと言われています。ここは、中海という湾岸にあり、例えば淡島と古事記に見える島と認識しうる粟島が対岸の鳥取県米子市にもあり、ここがオノゴロ(淤能碁呂)島と考えると、近くに国生みの神、イザナミの神陵地もあることから合理的なのではと思われます。

  2. 枚岡様
    コメントありがとうございます。
    教えていただきました、古代神代の説、私が今、数多の古代史解釈の中で支持している説と符合し、当地の古代史検証のためには、島根の古代史をもっと勉強しなければと改めて思いました。ブログに書かないだけで、私のライフワークとなっている当地須佐の古代史検証、時間の許す限り、少しづつ学んでゆきたいと思います。

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