高島北海(たかしまほっかい)が、須佐にしてくれたこと。

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ようやくお目にかかれました!!

takasima-hokkai

このおやじ↑誰? と思ってしまうこの写真。

ホルンフェルスの前の「高島北海」です。

※高島北海は、長門峡・石柱渓・青海島・須佐湾など、

山口県内の景勝地を名勝・天然記念物指定するよう

国(当時の内務省)に働きかけるなど尽力し、開発した人物です。

ウィキペディア高島北海

山口新聞:山口県内名勝地指定へ調査に奔走 高島北海の書簡発見

長門峡の誕生と歴史

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この写真の存在を知ってはいたのですが、

八方探しても見つからず、

諦めていたところでした。

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先日、ある方が公募したときのものをアーカイブされていて、

資料に使われていました。 突然の出会いにびっくり!

「やっぱりあったんだ~!!」

と感激したのは言うまでもありません。

※まあ、考えて見れば収集癖のあるこの方が持っているだろうというのは、

推測すれば考えられたことなんですけどね。流石としかいいようがありません(笑)

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国の名勝・天然記念物指定への尽力

須佐湾

須佐町史には、

昭和2年 高島北海は、粕谷旅館(・・・どこにあった旅館だか知りませんww)にて須佐湾を盛んに描いていたそうです。

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須佐湾の地質を調査し、景観を絵にしたため、特徴を言葉に換えて、

時の内務省に「名勝及び天然記念物」指定の申請をしたおかげで、

昭和3年 須佐湾が国の名勝及び天然記念物の指定を受けることが出来ました。

その申請書類には、須佐の郷土について書かれた書類等様々な添付書類があったようです。

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指定を受けた同年、須佐に鉄道が敷設、須佐駅ができ、当然、須佐は盛り上がったようです。

昭和30年代、観光推進のために、全国的なPRを行い、8mmPVやポスターなどで、

須佐湾観光、遊覧船を盛り上げたようです。

当時週末で最高5~600人の遊覧船利用者がいたようです。

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当時から戦略的な観光客誘致計画などあるわけもなく、

勢いに任せ、素材に依存した観光政策(←などないんですが)は次第に先細りになり

(どこも似たようなもんですねww)

現在に至っています。

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今はともかく、高島北海が須佐にしてくれたことがどれだけの財産になっているかは言うまでもありません。

それ以前より、景勝・地質・言い伝えについてはその時代時代で文章や唄、絵、となって語り継がれてきました。

津田常名翁のように、どれだけ郷土史に造詣が深くても、世に出ず、埋もれてしまっている存在もあります。

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ホルンフェルスへの道路は、今でこそ大型バスでさえも難なく行けますが、

途中、道路が比較的新しいのを皆さんも気付きました?

地権者の関係で、近年までこんなに良い道路ではなかったんです。

裏をかえせば、それまでは今ほどメインでなかったんです。

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須佐ではホルンフェルスが第一の魅力という常識になってしまってますが、

名勝及び天然記念物の指定を受けたのは、「須佐湾」で、その魅力の大半は船からの景観なんです。

車社会ですから、ホルンフェルスなら直接行けて、触ることも出来ますので、気軽行ける絶景ではありますが、

気軽に海からの絶景を見れるよう、遊覧船が再復活しています。

今年もやります。

是非、お楽しみに。

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