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切り抜き詳細

発行日時
2018-2-4 19:38
見出し
市長コラム『伊能忠敬その1』
リンクURL
http://yamamoto513.blog.fc2.com/blog-entry-563.html 市長コラム『伊能忠敬その1』への外部リンク
記事詳細

現在47の都道府県がある日本は、かつて石見や出雲といった「国」に分かれていました。「日本六十余州」などといいますが、厳密にすべての国を数え上げるとその数は68になるとするのが通説です。一方で、壱岐と対馬を「国」ではなく「島」としたり、備前・備中・備後をまとめて吉備としたりして、66とする見解も有力です。いずれにせよ日本がまだ多くの国に分かれていた江戸時代、「大日本沿海輿地図」という極めて正確な日本地図を作った伊能忠敬という人物を2回にわたり取り上げてみたいと思います。

1745 年に現在の千葉県九十九里町に生まれた忠敬は、18歳のときに現在の香取市佐原の伊能家の婿養子となりました。伊能家は酒や醤油の醸造、金融、水運など幅広い事業を営む豪商でしたが、当時の経営状況は思わしくなく、忠敬には家業再興への期待がかけられていました。

幼少期から学問好きだった忠敬にとって、商人の家を継ぐことは本意ではありませんでした。しかし、生来の勤勉さに加え、商機を的確に察知する秀でた能力を備えており、新たにコメの仲買を手掛けたり、江戸に薪問屋を出店したりと、新規事業にも積極的に乗り出し、10年ほどで経営を完全に立て直しました。37歳のときには名主に取り立てられ、利根川の堤防工事を取り仕切るなど公共の防災事業にも力を注ぎました。全国に多数の餓死者が出た1783 年の天明の大飢饉の際には、領主に対し年貢の減免を歎願する一方で、保有する米を地元の貧しい農家に格安で分け与えたため、近郷からは一人の犠牲者も出ませんでした。

このように、商人として、また地域の名士として申し分のない活躍と貢献を果たした忠敬が、子どもの頃からの夢であった学問の道に進むために、家督を息子に譲って隠居したのは、当時の平均寿命とほぼ同じ50歳のときでした。そしてまさにそこから、普通であれば悠々自適の余生となるべき日々を、歴史に残る偉業を成し遂げるための「第二の人生」とするのです。

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