萩市須佐藻ばいるユビキタス観光タウンガイド

携帯電話からアクセス
http://susa.in/modules/xpwiki/138.html

須佐地域情報
日本地質百選須佐ホルンフェルス大断層

須佐男命いか認定店認定旅館

きただにプロジェクト

須佐古代ルーツ研究

萩市須佐観光協会

益田家 anchor.png Edit

益田氏は、もと益田(島根県)七尾城の城主でしたが、

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏が、

中国8ヶ国から防長2ヶ国に移されたとき、時の城主、益田20代元祥も

毛利氏に従って須佐に移り、近隣7ヶ村12,000石の領主となりました。

元祥は毛利藩の家老として、萩城の築城や財政の安定等、

藩の建て直しに力を尽くし、それ以来、益田家は毛利藩の

家老を代々勤めました。

27代元道のとき、子弟の教育のために育英館が設けられ、

その伝統は今も育英小学校に受け継がれています。

幕末最後の家老33代親施は、京都禁門の変(蛤御門の変)の後

第一次長州征伐が起きて、その責任が毛利藩主に及ぼうとしたので、

その責任をおって元治元年(1864)11月12日、徳山の惣持院で切腹し

悲劇的な最期をとげました。

笠松神社は家臣が親施の霊を祀ったものです。

益田家代々の墓は、笠松山麓にあります。


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード印刷に適した表示   ページ新規作成 全ページ一覧 単語検索 最新ページの一覧   ヘルプ   最新ページのRSS 1.0 最新ページのRSS 2.0 最新ページのRSS Atom
Counter: 3893, today: 1, yesterday: 0
最終更新: 2008-01-25 (金) 07:55:09 (JST) (3651d) by ゲスト


ログイン名   パスワード 
 IDとパスワードを記憶
パスワード忘れた時
 萩市「須佐」藻ビキタスタウンガイドは、
誰でも自由に記事を作成・編集したりできます。
ページによっては、「萩ウォーカー」ユーザ登録が必要です。
「萩ウォーカー」新規ユーザー登録はここから

Copyright �・ 2006march-2010 萩の観光・暮らしのクチコミ情報サイト「萩ウォーカー」

メインメニュー