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須佐唐津焼 anchor.png Edit

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位置と付近の景観 anchor.png Edit

須佐唐津は、須佐の市街地から旧国道315号を南へ
4km、須佐川に沿ってさかのぼると、新国道315号に
逆ローゼ型式の鋼橋須佐大橋が、天地の空間に 架かって我が国第4位(長さ313mアーチ支間190m) の雄大な構造美を誇っている。その直下の狭間に唐津地区がある。 地区の中央を須佐川が流れている。
三方は急峻な山がそびえ、南は犬鳴山(527m)を隔てて弥富地区に接し、東は尾根を境にとして田万川小川地区に接している。集落を南側谷川に沿って300mさかのぼった峡谷に、高さ30mの唐津滝がある。滝を眺める高台に高貴な観音像が数基あり、集落の人々の信仰を集めている。近傍の山地一帯には、針葉樹をはじめ種々の樹木がおよそ150haにわたって繁茂している。特に犬鳴山頂上からの眺望はすばらしい。(陸地測量部の三角点がある)須佐唐津焼釜跡は、集落の西側斜面上に三基並んで築造され、窯暦の新しいものから順に一号窯、二号窯、三号窯と呼ばれている。なおこの遺跡は、昭和57年8月30日、須佐町文化財として町指定史跡となり、更に昭和59年11月2日、須佐唐津窯跡と称し、山口県史跡に指定された。窯跡地、771平方mは町有地となり、最古の三号窯は、鉄骨ストレートの覆屋により保護され、永く保存されることとなった。
この古窯の南山麓には土谷家窯があり、現在も煙をあげている。

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須佐唐津焼の由来 anchor.png Edit

伝承と古文書によれば、往古朝鮮より陶工が須佐に渡来し
釜を築き細々と煙を上げていた。
後年文禄年間(1592年)九州唐津より陶工土谷家が
この地に訪れて陶業を創めて以来この地を唐津と称した。
慶長五年(1600年)以降は、毛利藩永代筆頭家老益田家
御用釜として釜の拡張をはかり毛利藩再興のため生産を高めた頃
備前国(岡山県)牛窓より陶工 伊藤家が唐津に訪れた
元禄年間(1688年)萩坂家二代の弟が細工人として訪れ作陶を始めた。

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益田家と唐津焼 anchor.png Edit

初代須佐領主益田元祥は、慶長6年(1601)須佐に移住しているが、その数年前に触れてみる。彼は、文禄元年(1592)、豊臣秀吉の朝鮮出兵の命を受けた毛利輝元の軍に参じ釜山に上陸、各地で戦果をあげ京城(ソウル)までも攻め入り大功を立て凱旋した。慶長2年(1597)朝鮮再出兵の役に再び海を渡り各地を転戦している。朝鮮における陶器の歴史は古く、特に高麗青磁の技術は我が国の比ではなく優れた焼物が生産されていた。時、家巨の中に高麗焼の皿、茶碗等を持ち帰っている。元祥は天正年間(1580〜90)秀吉に仕え、茶の道完成者として名高い千利休の高弟であったと「益田家古文書」にある。 慶長5年(1600)、関が原の戦後、毛利輝元は、中国8ヶ所120万石の大名から、 防長二州の36万石の大名に減封された。この時、益田元祥は、徳川家康から石見に留まるよう勧められたが、毛利氏の恩に報いるためこれを固辞し益田6万石から須佐12000石の領主となり須佐に移住した。毛利藩からは、永代家老として迎えられ、領内では唐津焼の振興に庇護を加え焼物の生産を興隆したのである。すなわち、唐津犬鳴山一帯の森林を窯焚の薪として伐採と、陶土については領内各地(陶土の所在地)の採掘等を許可し 焼物の生産を復興した。 窯は領主御用窯として増築・新築をなし唐津陶業を総括する「役座」「村庄屋」に伊藤家を置いて、年間の生産量、規格、問屋の指定、販路の拡張、個人の密売禁止等、陶器生産販売に規制を加えた。 元和6年(1620)頃には、萩松本の坂高麗左衛門の次男坂本喜左衛門を招いて、 古唐津系の技法に萩焼の技法を加え、自領内の養産と財源確保、本藩茶陶の御用を兼ねて、独特な須佐唐津焼の基礎が確保されていった。 益田家29代益田就祥は国学、和歌に優れ、須佐12景を選定し御船歌を作詞した左江文学の先覚者であった。陶業振興にも力を入れ、特に楽焼の技法を修めるため陶工を 先進地にに出張させ、その技法をもって製陶場を益田邸内に設け、高天山焼と称した。 この窯が焼かれた作品が益田家に残っている。

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須佐唐津焼の販路 anchor.png Edit

須佐唐津焼が隆盛をきわめた江戸時代は、唐津焼物をすべてを御用焼物として領主(益田家)に納めた。領主の裁量ににより藩内外(山口県・島根県)の各地、または北前船によって藩外遠く東北地方までも売出されていた。明治4年廃藩置県が交付され、領主の制度が解体され焼物の販売が自由になると陶工たちは競って販路の拡張を図った。注文が圧倒的に多いのは祭具で、中でも「かわらけ」が多かった。一時期は好景気を反映して注文も多かったが、大正9年(1920)から次第に注文が激減し、さらに戦争の混乱期と食糧難に あおられ、陶工のほとんどは転職をよぎなくされた。

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須佐唐津焼の工程概要 anchor.png Edit

1.造り土の調整
 (1)原土や薬土の採取は須佐の各所から行い唐津へ運んだ。
    江戸中期からは大道(防府)の土を購入、須佐土と混合して用いるようになった。
    運び込まれた原土を日光でよく乾燥し、水槽に入れかきまわして、砂擽を沈殿させて
    細かい粒子を含む濁り水を極細の網とおしで水こしする。
 (2)水槽のそこに沈殿した土をオロ(水分を除去する容器)で水分をとり、素焼に盛り
    日干しや陰干しをする。
 (3)適当なやわらかさになった干し土を土踏台にのせ、菊型に足踏みを行い、乾燥しないよう
    イガワに入れねかせる。
 (4)菊踏みにより練った土をロクロにかける必要量を土練台でさらに手もみを行い、
    土中の空気を抜くと共に適当なやわらかさに調整する。

2.成形
 (1)調整した土をロクロ台(朝鮮式蹴り型、又は電動型)に載せ、作品により種々の
    成形をし、なめし皮で口縁部を整え、底部は糸きりをする。ロクロを利用しない
    手作りは、手ひねり紐作り、たたき作り等がある。
 (2)成形した茶碗等は2、3日陰干ししてロクロにて高台等を削り仕上げる。
 (3)作品によっては、乾燥前に白土を泥水としたものを塗ったり漬け掛けを行う。
    これを化粧掛けという。素地を白くカバーすることにより、焼成の結果いろいろな
    紋様ができる。粉引、刷毛目、三島手等という。刷毛目は化粧土を刷毛で刷いたまま
    拭い去らず残し、釉掛を施したもの、三島手とは、印花、線条文に化粧掛けを施して
    のち拭いとり、象がんのような感じを出しこれに釉を施したものをいう。

3.素焼
  仕上げした素地をよく陰干しして乾燥したものを素焼窯でおよそ15時間、
  摂氏800度程度で焼き上げる。

4.薬掛け
  素焼きが終わればこれに種々の薬掛け(釉掛け)を施す。
  大きな作品は生掛け(素焼きをしない)である。
 (1)土灰釉、薪などを焚いた灰に青磁をまぜる。焼き上がりに透明度が強い。
   酸化(1180度)で焼くと黄褐色を帯び、還元(1300度)で焼くと
   青味を帯びることが特色である。(須佐青磁と言われている 写真左)
 (2)わら灰釉、白色に焼きあがることが特色、酸化すると純白に近く還元すると
   月白になる。月白とは青味のある白色で白夜の月の色に似ているところからいう。
 (3)鉄柚、鉄分の量によって天目釉ともなるし、黒色ともなる。(須佐黒といわれている 写真右)以上が唐津焼の3つの基本釉薬である。このほか、長石柚、ビードロ釉がある。

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 5.本焼
 (1)薬掛けが終わると本焼きの窯積みを行う。
    朝鮮式のツバ積み、棚積等を併用する。窯積み道具はツバ、トチミ、リュウゴ、
    ハマ、貝殻等がある。一番房より横口から順次つみこんでいく。
    火前とヘダチ(窯の奥)で温度差があるので、焼成効果をみこして配置を工夫する。
    薬によって配置が違う、青磁薬や黒薬は火がいつも当たる状態でなければいけない
    ので、火前に積む。窯積み後は、房毎に粘土とレンガで横口を密閉する。
 (2)釜焚きは3人程度で交代して行う。薪は赤松(昔は松や、椎、タブ等)で大束、
    小束の2種類を使い分ける。大口(窯最下部の焚口)を焚くのに13時間程度、
    薪は大束を~300把程、一番窯を焚くのに2時間程度位、薪は小束50把程、
    二番房、三番房は各1時間くらい、薪小束を用意する。
    大口を焚き終わると一番の焚口から薪を投入する。始めから攻め焚き(還元焼成)
    をするが、攻め過ぎると薪がつかえるので加減しながら1300度位に火熱を
    上昇させる。目穴から釉薬の溶解度を判断して、薪の投入を止め、焚口を密閉する。
    同様にして全窯を焚き上げる。

6.窯止め
 火を止める前に各房の目穴より色見を引き出し、自然にさまして釉の溶解度を確認した後、
 焚口を粘土とレンガで密封する。

7.窯出し
 火を止めた後、2〜3日さましてから窯口を開き作品を取り出す。

(須佐町史より引用)

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最終更新: 2008-06-05 (木) 18:48:37 (JST) (3483d) by ゲスト


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