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話の脱線および参考リンク・引用に関するネタ元様。研究のためとしてご容赦ください。

神山神社の須佐乃男信仰が、黄帝信仰に変ってしまったわけ。 anchor.png Edit

ikamikuriya (2009-12-12 (土) 05:45:54)
須佐津考の存在は、須佐の郷土史などにたずさわる方は、ご存知だったということ。

ただ、異説として留めた紹介の仕方が、まるで、根拠のない戯言にも間違われてしまいかねない。( ̄へ ̄|||) ウーム

特に須佐にとって一番大きな矛盾と言うか疑問となる、
「黄帝信仰はもともと須佐乃男信仰だったかも?・・・」
という程度の紹介に留まっている異説のネタ元はどうも「須佐津考」のようですね。

とりあえず、この辺から検証してゆこうと思います。

  • 須佐津考が掲げる「黄帝」誤称の根拠
  • 古代史の考察から見た時の「黄帝」
  • 大陸から来た神と大和朝廷と
  • 幕末から戦後までの時代について

  • 須佐津考にある黄帝誤称についての記述・根拠

    然るを須佐之男命をば加良神(からかみ)と称し須佐之男命の御子・五十猛命を加良神と称して宮内省に祀られし例あり。
    御父子倶に大陸からの神、 韓神で守護神として宮内省に祀られていた神か 御父子倶に大陸地方の治水事業、拓殖政策の為め屡往復し給ひし御事跡あるを以て、孰(いずれ)も加良神と称すべし、加良は上古大陸地域を指せる汎称なればなり。


    又於吾児所知之国不有浮宝則未佳 あがみこの、しらすくににおいてうきたからあらずはよからず
    と、詔(のりたま)ひて、船舶製造の用材たるべき杉・桧等を始め、
    植林事業に御功績ありし史実によりて、船霊(ふなだまの)神とも称せる故に儒学の権威ある時代に於て、 漢土黄帝[号は]軒轅氏の、刳木為舟 剡木為 楫 舟のために木をそぎ、楫のために木をけずるの伝説に附会して黄帝と誤称せられ、


    次で神山を高山と書ける時代と為りては、弘法大師云々など紀州高野山の縁起を加味して、
    終に寛文十二年(1672)十月、 厚狭郡小野村より瑞林禅寺を移して紹孝寺の末寺と為し、
    其境内に一社殿を建立し、誤称黄帝を之(これ)に移して、領主より社領米三石四斗を給与し、紹孝寺住職の弟子大宥を住職と為して、 社務を司らしめ船霊の神徳を宣揚せしめしかば、神山神社に対するの信仰は全然此神社の有に帰したるものなり。

    爾来数代継承、以て今日に至り神聖なる古跡、貴重なる伝説を忘却して村名須佐の由来をさえ知らざるに至りしは遺憾の極みというべし。

    如斯(かく)て相殿伊邪那美命は紀州熊野神社より勧請せしものの如く、
    熊野八相権現など称して、依然其の社殿に在座(ましま)せしも、漸次衰頽の悲運に傾き、其規模を縮小しつつ、猶一社の資格を保有するに努めたりしが、
    維新後、神社整理の命令下に産土神社に合併して、其の社殿を解除するに至りしは痛嘆に耐えず、時ありて神山神社の復旧を図るは神人の期待する所なるべし

    天保年間、神仏淫祠廃除の厳達ありし時、瑞林寺境内黄帝の祠宇は淫祠なるに依りて解除すべきの命ありしに依り、住職信徒協議の結果、沖浦区鎮座山王神社を移して、 須佐之男命の誤称黄帝をばこれに合祀すべき双方の交渉相纏り、其認可を得たれば、爾後山王神社を公称したりしも、歳月の久しき、其制度の緩むに従ひて、いつしか黄帝に復帰せり。
    又瑞林寺は一仏閣たるべき資格を具せざるを以て、明治八年、官より廃寺の命ありて妙高庵と号す。

以上ここまで。-- ikamikuriya 2009-12-12 (土) 06:01:54

  • 結構、この赤字の部分の記述が何気に凄いことを書いてある。加良神(からかみ)と読んでいる記述が宮内省にあるとか、大陸から来た神であるとか、須佐乃男命(又は五十猛命)が治水事業や拓殖政策に実績があるとか、又そのために大陸と往復していたこと等・・・・・・・おいおい! それらのことが、今、現代においてようやく一部で語られている程度の説なのに、よく、この時代(〜明治・大正〜)にそこまで考察できたなあ・・・。ホント、この人凄い!-- ikamikuriya 2009-12-14 (月) 05:34:31
  • ↑知らぬは勉強不足の自分ですね。古代史研究そのものが、江戸時代や明治時代にも盛んに検証されてたんですね。日朝同祖論にいたる背景というか、古事記解釈ですが、自分は現在、桜井光堂氏著「古事記の探求」での考えに基づき、古代史を見ています。 -- ikamikuriya 2012-03-24 (土) 21:32:27

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掲示板開設しておきます。基本的なスタンス。 anchor.png Edit

ikamikuriya (2009-12-06 (日) 05:26:00)

あまりに、底知れない須佐のルーツ研究に音を上げました :-D

追いかけているプロセスを公開しながら、ご賛同者の意見と協力を求めてまいります。。

現地に行くと、確かに得体の知れない期待と魅力に包まれてたまらなく面白いのですが(笑←自分だけ!?)、基本的にネット上での資料・記事を調べることから新たな仮説を導いて検証しています。

興味があったら茶々入れてください。

各タイトル(スレ)別にコメントを!

  • 古事記についてなどの新解釈について紹介してゆきたいところと、須佐津考に書かれた須佐湾の新しい事実など順にスレたてておっていきたいかなと思っています。まあ、ぼちぼち攻めていきましょう。興味ある方、一緒に妄想してみましょう! -- ikamikuriya 2009-12-10 (木) 21:15:34
  • 日朝同祖論って奴は、新井白石しかり、古来、日本の考古学・古代史を紐解く方々が行き着く先に必ず出てくる説で、勉強中ではありますが、私も支持しています。しかし、それをネタにした韓国人の方の小説を日本側が非難したり、日本側が説として評価している歴史的事象を、韓国側は一切認めていないなど、結構なタブーが潜んでいるのを、勉強し始めた時感じました。が、それはそれ、考古学・古代史研究は推察し、新しい発見と共に検証してゆくもの。でなければ、当地の郷土史家「津田常名氏」が思いを後世に託したことも無駄になります。どうまとめていいかわからないので、書き込みは全然してませんが、ぼちぼち、バンバン検証していますよ。 -- ikamikuriya 2012-03-24 (土) 21:26:31
  • スパムもどきの2CH風なハンドル名は、意図が掴めないためコメント共に排除します。 -- ikamikuriya 2012-03-24 (土) 21:46:30


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