萩市須佐藻ばいるユビキタス観光タウンガイド

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120: 2011-11-05 (土) 21:51:23 ゲスト[hZVAWt1Sgvg] ソース バックアップ No.120 を復元して編集 現: 2011-11-06 (日) 08:21:01 ikamikuriya ソース 編集
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 紀元前400〜300年頃、春秋戦国時代の中国大陸から(※安曇族と呼ばれる(民の巧みな航海技術を持っていた呉(ご)の民と推測されている)帰化した海洋民族(海人族・呉や越(えつ)が、天然の良港である須佐湾を主要な基地・集落としたのが起源と推測される。~  紀元前400〜300年頃、春秋戦国時代の中国大陸から(※安曇族と呼ばれる(民の巧みな航海技術を持っていた呉(ご)の民と推測されている)帰化した海洋民族(海人族・呉や越(えつ)が、天然の良港である須佐湾を主要な基地・集落としたのが起源と推測される。~
- 古事記を解読した1説で、朝鮮半島から渡来したイザナギ・イザナミによる古代国家創設時、()出雲の地にて須佐乃男命を神(王)と崇める須佐族として帰化し、~ + 古事記を解読した1説で、朝鮮半島から渡来したイザナギ・イザナミによる古代国家創設時、須佐之男命が出雲への前線基地として一時支配した場所が須佐である。(その後、中心地は出雲に移動し出雲政庁時代に) 
- 海士(あま)族と共に、出雲と新羅(朝鮮)を結ぶ通商航路の重要な寄港地としていたところが須佐湾であり、~+ 当時より海士(あま)族と共に、出雲と新羅(朝鮮)を結ぶ通商航路の重要な寄港地としていたところが須佐湾であり、~
 須佐乃男命(又は同王族)自身が立ち寄られていたとされる御津海(現:水海)を中心に栄えた由緒ある地である。  須佐乃男命(又は同王族)自身が立ち寄られていたとされる御津海(現:水海)を中心に栄えた由緒ある地である。
-&font(,Yellow){その理由・推論}; -&font(,Yellow){その理由・推論};
+古事記がまったくのフィクションと言い切れなくなっている現代考古学の中で、海人族系の民族が独特の文化・技術・交流を、他の地と違う経緯で持っていたと捉えることが有力。(海人族系の日本海文化圏の存在、朝鮮-筑紫-出雲そして高志との繋がり) +古事記がまったくのフィクションと言い切れなくなっている現代考古学の中で、海人族系の民族が独特の文化・技術・交流を、他の地と違う経緯で持っていたと捉えることが有力。(海人族系の日本海文化圏の存在、朝鮮-筑紫-出雲そして高志との繋がり)
-+出雲地域の遺跡から発掘された銅鐸やその時代のものが、古代中国「越(えつ)」の貴族の墓から出土された銅鐸の形状の類似、構成物質が大陸産である事などから、その当時に交流・移住などのプロセスがあったと考えるのが自然。 ++出雲地域の遺跡から発掘された銅鐸やその時代のものが、古代中国「越(えつ)」の貴族の墓から出土された銅鐸の形状の類似、構成物質が大陸産である事などから、その当時に交流・移住などのプロセスがあったのではとされている。 
-+日本古来の海の民「海人(あま)族」の航海技術や文化伝播の経緯から、海人族(又は安曇族)とは当時の中国大陸の呉の民と考えるのが有力という説がある。呉越同舟という言葉の通り、国を追われた越の民を朝鮮または古代日本へ移住させたのは、海人族ではないかという説もある。古事記を解読する複数の説より、須佐之男命は国を追われ朝鮮ルートより日本(出雲)へ来た。須佐之男命と海人族の関係は日本海文化圏を通し密接なものとなり融合していったのではと伺える。++日本古来の海の民「海人(あま)族」の航海技術や文化伝播の経緯から、海人族(又は安曇族)とは当時の中国大陸の呉の民と考えるのが有力という説がある。呉越同舟という言葉の通り、国を追われた越の民を朝鮮または古代日本へ移住させたのは、海人族ではないかという説もある。 
 ++古事記を解読する一説より、須佐之男命はイザナギより当時の最前線基地「須佐」に派遣され「須佐の男」という意味の諡を与えられ、須佐を支配していたとされる。&br; 
 +須佐之男命と海人族の関係は、越の国(新潟)〜出雲〜須佐〜筑紫〜新羅といった航路(日本海文化圏)の寄港地として、密接なものとなり融合していったのではと伺える。
+当時の航海ルートで、海流や海風など気候の厳しい日本海側を古代の船が往来するのに寄港地「須佐湾」の地理的特性・存在価値は必然。海人族がいたとする「須佐津考」の記述は自然。 +当時の航海ルートで、海流や海風など気候の厳しい日本海側を古代の船が往来するのに寄港地「須佐湾」の地理的特性・存在価値は必然。海人族がいたとする「須佐津考」の記述は自然。
+新羅との通商の名残、須佐唐津焼の「唐津」の語源、などから、朝鮮(新羅)-筑紫-須佐-出雲の海路が存在していたとする須佐津考の説は時代背景や当時の状況とも符合する。 +新羅との通商の名残、須佐唐津焼の「唐津」の語源、などから、朝鮮(新羅)-筑紫-須佐-出雲の海路が存在していたとする須佐津考の説は時代背景や当時の状況とも符合する。
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-以上が、現在(20091207)までの各方面の情報を考察した仮説です。+以上が、現在(%%20091207%%)(20111105)までの各方面の情報を考察した仮説です。
これをたたき台に考察をしてみたいと思います。 これをたたき台に考察をしてみたいと思います。
-&font(u){古事記など歴史書物};からの考察。 -&font(u){古事記など歴史書物};からの考察。
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-&font(u){須佐津考及び現地検証};からの考察。 -&font(u){須佐津考及び現地検証};からの考察。
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